10月9日に成田夜便で10日パリ・シャルルドゴールに早朝4.5時に降りた。
20Eを握り締め、RER(パリ市内行きの列車)のチケットを買おうとして気がついた。
チケット売り場は開いてなく、販売機は、現金取り扱い出来ず、日本のクレジットカードは拒絶された。そこで日本人らしき人に行き先を尋ねる、もし同じならタクシーで行こうと思ってた。4人が集まったが少しづつ方向が違う、そしてやはり全員のカードが拒否された…同じように何かを待っていたフランスのおばさんに声をかけ、事情を話すと、彼女がカードを使って4人分買ってくれた。感謝!でもこのチケット販売機は何の為?でもお陰で、すごく美人で暑がりな(ノースリーブでした、一応パリ、確かに暖冬のパリでしたが一応冬)明日香さんに出会う。パリでは残念ながら上手く会えませんでしたが、いつかまた日本か香港で会えて一杯出来るといいですね〜。
 友人のカルティエに着きつつ気付く、アパートのコード番号を持ってない…パリは勿論まだまだ睡眠中、救いの神はパン屋さん。彼女、リンダの家に電話してもらい番号も聞いてもらう。感謝。
 2年ぶりの再会、リンダはこの日3時まで仕事だったので起こした事を気兼ねをしていた私は、彼女が"il pleut?"(雨降ってる?)と言ったのを”tu pues!"(あんた、臭い!)と聞こえてしまった。
朝からの数々の出来事と荷物を持っての移動はやはり疲れて少し、参ってた。二人で大笑いをしたら、挨拶もそこそこベッドに直行。次の日から昼はぶらぶらと生地やさんに行って、夜は皆でいつものがやがや楽しいアイリッシュパブ。
 

10月10日  パリの猫

hirori

 昨夜も夜中2時までパブで居た。
7時に起きて、朝9時発のリヨン行きに乗るとすぐ眠りに落ちた。気持ちよく寝れたはずなのに、私の相変わらずのそそっかしさで悪気を催し眠れなくなることがこの後起こる。車掌さんがチケットの確認に回ってくる、ピッと渡して再び目を閉じると”この券じゃ乗れないよ、駄目だよ”と言う。?。リヨン-イタリアの券を渡してしまったかと思ったが、続けて言うことには、”これは昨日の乗車券だよ”と笑顔なしで言う。嘘みたいだが浮かれすぎていたのだろう、またやってしまった。日を間違えたのだ。(実はタイの空港でもした事があった)。ため息をつき、困り顔で言い訳したけどやっぱり駄目で結局また60 Eくらい払う羽目に(払い戻しなし、結局合計110E払いました)。
 友人がパール・デュー駅まで迎えに来てくれてたので笑顔を繕うが、心はほとほと自分に疲れていた。大学で研究をしているとても忙しい彼であったが、日曜・月曜と仕事を休んでくれた。去年オーストラリアで友人ローラのパーティで会ったデヴィットがリヨンで職を得たのが私をここに導いた。
 調べてみるとリヨンは”美食の街”としては有名ですが、なんと世界的に”絹織物の街”としても有名だそうで、楽しみが2倍3倍になる感じでウキウキ。(実際は安い生地が入ってきて、倒産も多いらしい)お陰で素敵なリネンに出会えました(写真右下)。日本に到着次第アップするので楽しみにして下さい。
 初めてのリヨンはまず、マルシェで食べ物を調達しソーヌ川でランチタイム、その後楽しみな蚤の市。パリのような市を思い浮かべてたので、少し意表をつかれました。ここは芸術家天国、とでもいうのでしょう、100もの店が色んな自作を並べてます。絵画、アクセサリー、バッグ色々。夜の食事はすごーーく楽しみでしたが、やや私達には重いものでした。実際彼は夜お腹の調子が悪くなっていた。マンマ・ミーア!この日以外はどちらかというと二人ともベジタリアンに近いくらい野菜が好きなので、9階の彼の自宅のベランダから外を見ながらゆっくり食事の日々。彼の仕事も多忙を極めだしたので、予定を早め、金曜日の朝にオレンジ屋根の街リオンを離れ、シャンベリーに行くことにした。

10月15日  オレンジリヨン

2006

hirori
べリーベリーシャンベリー
 お昼に列車が駅に着いた。リヨンからイタリア・ミラノに行くにはシャンベリー経由かジュネーブ経由。スイスにも”滞在”してみたかったが、超物価高を聞いているので、行けない・・・という訳でシャンベリーにしたが、大正解だった。相変わらずツーリストインフォメーションに辿り着くのに時間をとられる。見つけても、昼休み時間なら閉まる。そして、昼休みだった。荷物があるとやはり動くのは簡単で無い。2ヶ月弱で13kgしか、これでも無いんだけど、それでも大変は大変。サンドイッチを買って、1時間ベンチで待つ。開店同時に入り、お姉さんに尋ねる。「一番安い所を」と。「即座にトイレ共同で30E、そこが一番安いけどいい?」「トイレ・バス共同・相部屋でいいので25Eくらいで無いですか?」「ここは小さい町、無いわ。でもいい所よ、ここ」と、云う訳で歩いて3分くらいのお勧めの所に着くと、1階がカフェ・バーで、近所のおじさんたちが割りと綺麗な”女”主人を囲んで飲んでいた。鍵を渡され、本当になぜかモーパッサンの「脂肪の塊」を思いつつ、隣接するホステルに行き、シャワーを浴びてお金を払いにまたカフェ・バーに戻ると黒人の美人な人がお金を払っていた。無言の笑顔を交わし、私はとりあえず、エスプレッソを頼む。パリでは久しく見なくなったビスケット付きのそれが出た。彼女と言葉を交わし始めるといつの間にか、じゃ夕方6時に会いましょうという事になった。子供心理学の先生になりたい彼女は30歳でもう一度ここで大学生になり、入学手続きと住居探しに3泊4日で来ていた。全く日程が同じ私達は意気投合、運命の出会いという事でほとんどの時間を一緒に過ごす。
 土曜は湖へプチ旅、日曜はやはり蚤の市(ここはかなり古道具好きなら穴場ですよ)。夕食はスーパーで買ってきたものやピザ(超お勧め!!イタリアに近いからでしょうか、屋台ですが生地から作っていて、安くて美味!)を部屋で取り、それからバー(小さいけどかなりかっこいい)に行った。一度は彼女がアパート探しをしている時に出会った男の子達の紹介で町外れにあるライブハウスに行くが、歩きで20.30分のはずが、こんな夜に女2人歩いてて売春婦に間違割れるのではないかとすごい速さで歩いていたのにも拘らず、迷いに迷って2時間近くかかり泣きたくなっていた、街灯もすれ違う人も疎らだった。不平たらたら歩いていたが目的地に着くとライブハウスは車の修理工場の横でなかなか楽しかった。音楽っていいな。200人もギュウギュウ詰めの箱で前半分は皆真っ赤になって踊っている。踊り狂っているの方がぴったりかも。最初のうちは例の男の子達のグループで話をしていたが段々血が騒ぎ出し前へ前へと行き演奏者を見つつ皆に混じって踊る、一番熱く(酔っ払い?)とてもかっこよく踊ってた男の子に手をとられなぜか皆で一列になってフレンチカンカン如く足を上げ踊らされた。マンマ・ミーア !!ライブハウスがクローズになってからも皆は外でダンス。その熱い子は言う、”血が踊りだす、血に従ってる”。流石にホテルへの帰りは車でつれってってもらいましたが、シャンベリーの本出せるほど歩いたし、飲んだし、踊ったし、ベリーベリーハッピー!!と言う事で興味のある方はフランス語ですが、英語バージョンもあるのでチェックして見て下さい。http://www.mairie-chambery.fr/?module=cms&action=get&id=2004061110214069
     

10月18日

 少し生意気にも旅慣れを自称していて呑気に午後6時にウルビーノに着けばいいかと、午前10時のミラノ行きの列車に乗った。窓に流れていく景色を楽しみながら、一駅毎に言葉が変わっていく過程も楽しむ(写真参照)。
ミラノに予定より半時間近く遅れて着く。ドルチェ・ガッバーナの巨大広告に目を奪われる美しい構内を楽しんでいる間もなく、長蛇の列にいらいらしながら着く。次の30分後発の3時40分に乗りたかった。7時には着くだろうと思ったが甘かった。ペーザロの駅に着いた時はもう8時になっていた。ここから内陸向けてバスで1時間の所にヨーロッパの宝石と呼ばれるウルビーノがある。実はこの夜に明朝から始まるウルビーノでの私の語学の先生のセミナー(http://www.polyglot.jp/)に合わせて着いておきたかったのだ。しかし苦難はここから、もう、バスは無く…ネットショップも見当たらず(ホテル記載をメールにしか保存してなかった、勿論私が馬鹿)、切符の販売員に町はどこか?ホテルはどこか?と、聞くも指し示されたのはちんけな器械の案内…特に大きな都市でもないので(夏は避暑地)人もたくさんはいない、手当たり次第に訪ねるが皆、そう、英語が出来ない…私は全くイタリア語が全く出来ない…流石に夜は恐い、どちらに歩いていいかも検討が付かない位周りに明かりは無い。途方に暮れていると少しフランス語アクセントが聞こえ、近寄り事情を説明すると「うちに、おいで!!ウルビーノ、明日行くから、9時に友人がここに迎えに来るからもう少し待って」といいながら話をしていたおじさんに向き直り電話番号を聞いていた。マンマ・ミーア!!どうしよう?
私は彼女を売春婦と見ていて、私も仕事をさせられたら…身ぐるみ盗られたら?でも、野宿も嫌だと、少し死を決して付いて行った。勿論何もなく、逆に小高い山の頂にあるイタリアンレストランで友人が食事を奢ってくれた。あー、助かった(つもりだった、結局彼女に3週間かなり振りまわされ、80E貸したままとなる)。それでもやはり感謝かな。

10月20日

大変でペーザロ

hirori

hirori

10月23日-11月10日

中世の宝石、ウルビーノ

 さて、今日からイタリア語。日本から来ている人や、現在イタリア在住の方など総勢8人になりました。皆さん、それぞれ個性的(先生がずば抜けて個性的、そして特に語学、音楽や絵画に関し天才的記憶力)でした。abcも知らなくても目標は翻訳!!と志高く参加したものの、1週間が終わる頃には、閉じこもって勉強ばかりの夢の生活!!と思ってたにも関わらず、barの無い生活では生きて行けず、アグリツーリズムを一人出て、町よりのホテルに引越し。ここへのホテルも夜中3時に一遊びした後、友達のフレデリック達が探し出してくれた。なんと、手際の悪い …。でも、流石はイタリア、本当は1泊32Eをフレデリック交渉のうえ25Eになる。そしてここのオーナー、スタッフ(モロッコ人のためフランス語が出来る、助かる)全員とても親切で快適な2週間でした。もし、ウルビーノに再来するならここが私の間違いなくお宿でしょうね。
 肝心のイタリア語は、やっとアクセントにも慣れ始めた頃、バイバイというお粗末さ。つまり友人との普段の会話は全て、英語とフランス語で済ましてしまった…授業での文法説明等はかろうじてついていけたんですが、日常会話は酷い。まだ耳にリズムが残っているうちに12月からNHKラジオでやりたいと思っていたのですが…延び延びです。
 一番の楽しみにしていた、蚤の市ですが、滞在中1度あるにはあったのですが、とても高く、規模も小さい。イタリア、スペインともに言える事ですが、市といっても安くて新しい商品が並んでいる所が多いです。
 ウルビーノ、ラファエロ誕生の地、ヨーロッパのダイヤモンド。画像でお楽しみ下さい。

hirori

 バールの本を出したいくらいバールが好きだ。イタリアのバールは特に楽しい。                    
何が楽しいかというと、飲み物を頼むと、テーブルの上の前菜を食べれる。お気に入りの前菜があるバールを目当てに足を運ぶ。前菜が無いバールは後で述べるbarで2.5ユーロ、普通は3.5ユーロ前後(但し、ウルビーノ、ペーザロ、ボローニャ、少しスノッブな所へ行くともう少々高いが、お洒落な人が多いので目も楽しめる。写真は少々スノッブな所)それなら迷わず後者を選びたい!!イタリア人は、早い!30分くらい友人達とお喋りをして、さっさと次のレストランへと移る。イタリア人スタイルをまだ知らず、一度恥ずかしながら一人、2時間近くも粘ったが、流石に人の流れが速いことに気付くと、心ならずともテーブルに手を伸ばすのを押さえ、テレビに目を移し2杯目をもっと時間をかけて飲んだ。1人だから、がっと食べてさっと出て、ホテルに帰るのなんてつまんない。1人でもゆっくりアペリティブは楽しみたい。
 と言う訳でホテルの横の場末のカフェ・バール(でもillyを取り扱っていた、イタリアでもillyは高いみたい)に顔を出し
始めて3日目、相変わらずゆっくりといると、やっと話相手が出来た。この建物のオーナーの息子クリスチャンが来ていて(実は毎夕食後来bar)、僕のママは世界で1番の料理人だからと言って、食事に誘ってくれた。流石は、イタリア男!!そして、対する手作り料理をこよなく愛する日本人!!甘い誘惑に勝てません、早速、お邪魔。この日は、ウルビーノの伝統料理、サラミ等。この後また誘ってくれたが、その時は手打ちのパスタと、魚介類、舌包み!!至福の一時。お礼は、冬の必需品、ホッカイロ

料理といえば、イタリアはどこでも美味しい。野菜も多く、胃ももたれず毎食食べれる。そして何よりのご馳走は、やはりサラミ。それに赤ワインで取る夕食は大好きである。もっとはっきり言うとそれを1週間食べ続けていられる。(ニキビは酷いけど)。 viva,italia!!

イタリア食す

hirori

10月23日ー11月14日

(2006年 10月から12月にかけてイタリア語学勉強に行った時に立ち寄ったあちこちの町での出来事、蚤の市のことなどを書いてます。)


11月14日


本来はフィレンチェでランチでもと、計画していたはずだった。また、やってしまったというべきか、バスから降りて、フィレンチェ駅構内の切符売り場に行って気付く。・・・・・・・・財布一式がない、カード2枚、パスポート、友人の電話番号と勿論お金…おそらくバスに忘れてきた。慌てて警察に飛び込む。午前10時。

信じられないことに毎日の事だし、特に君の場合、君の不注意だからと、記入用紙を渡され、ここに居てくれるな、日本領事館に行けと言われた。どこ?ローマ?ローマ?そんなことより絶対バスにあるはずだから、バス会社を探してくれと泣きながら言っても、何百本も通っているのに無理だ、日本人は金持ちだろ?どこに金がある?流石に意地悪を言い過ぎたと思ったか、高慢ちきなこの警官は目を泳がせ、ないね…押し問答が続くが、こいつは駄目だと諦め、バス探しに行こうと決めた。なんと、反対側の出口にバスの始発らしきものがあるではないか、再び馬鹿警官と叫ぶ。1軒1軒尋ねる。最後の最後2人のおじさんがいれば一杯の別室に通され、説明する前にデスクの上に見慣れた私の黒いポーチがあるではないか。MERRY Xmas!

もう午後2時になっている。大急ぎでチケットを買う、5分後の列車に乗るのだ。5時にミラノのマルペンサ空港に何とか着けるだろう。よし、と思った所にアナウンス・・・何を言ってるか分からないけど、乗客のブーイング、嫌な予感。ぶーぶーいいながら皆が列車から降りだした、社員は、原因は知らないの一点張り。皆にボローニャ行きに乗って、乗り換えミラノと言う。汚い言葉が私の口をついて出てくる。トレニタリアめ!!もう一度切符売り場に行って、文句をたらたら言っていたら、お姉さんが、職員らしき人に何があったのか聞く。すると彼は、え?もうすぐで出るよ、と言うではないか。よく分からんイタリアーノ。ウンザリ。すごすご元の列車に戻る。10分くらいで本当に出発したが、全シートもともと埋まっていたのに、元の1/3しかいない。可哀相な人達、私はどうなるのだろう。。。もう、3時だ。

乗務員が回ってきたので、これぞとばかり、スペイン行きのコピーを見せ、間に合うか聞く。ぎりぎり間に合うと思うけどと言って、彼は珍しく親切に(この頃にはすっかり、フィレンチェ嫌い)マルペンサ空港行き専用のリムジンバス乗り場の地図を書いてくれ、ついでに保険になるかどうか分からないけどeasyjet用にと切符に彼のサイン入りで理由をとりあえず書いといてもらった。私のせいじゃないぞと。

ミラノ5時。クローズは5時45分。リムジンバスに飛び乗る、夕方のラッシュ時刻、いらいらも頂点に達している。easyjet(http://www.easyjet.com/en/book/index.asp 今回は予約を10日前くらいでしたから、高く払いましたが、それでも、ミラノ-マドリッド50E,バルセロナ−パリ30E)は一分でも遅れると乗れないよ、と隣の子が言う、他の人のことは気にせず、ただ走るのよ!!嘘のような一日が赤い夕日と共に過ぎていく。後5分という所でバスが空港に着く。押しのけへしのけ進む。嘘みたいだけど、間に合った。you're luckyと言ってくれたけど、そうなのか?油汗。

easyjetは席は自由です。開いてる席に座り、2時間爆睡。何度も隣のおじさんの肩にもたれて寝ていた。着陸後、よく寝たね。と笑われた。

午後8時15分マドリッド無事着。初めてのスペイン、パリの友人に紹介してもらっていたエレナに会う。どんな子が来るのか、わくわくしていた。金髪の目の大きな子が現れた、舌足らずなしゃべり方、舌のピアスのせいか?今だ彼女の話し方が耳にくすぐったく残っている。マドリッドの空港はとても便利。福岡みたいです、メトロでそのまま、中心街に着きます。エレナが10時からダンス教室があると言うので、一緒に行く。彼氏フィートとその友人エクトルとそこで合流、30分くらいダンスを見て、先に男の子達とエレナとフィートの素敵なアパートに歩いて帰る。ビールでも買いに行こうと思って財布を捜す。あーーーーーー、黒のポシェットが無い!!!・・・・実話です・・・・・・ダンスを終えて帰ってきたエレナが1日に2回も信じられないと、ぶらぶらさせながら持ってきてくれたけど、悲しすぎる。

花の都、フィレンチェdeスカ?マドリッドdeスカ!

hiromi

ELENA Y FITO(エレナとフィート)…マドリッド、フランスの友人ミロにマドリッドに友人がいないか尋ねた。夜8時にマドリッド空港にイタリアから着くようになっていた、初めてのスペインが少し不安だった。とりあえず、1泊させてもらえて嬉しいと言うと、会ったばかりの彼女は、あなたがマドリッドにいる間ずっとどうぞと、鍵も毎朝私の為に残し、遅寝をさせてくれた。彼と住んでいる二人の住居はソフィア美術館のすぐ側。平日二人は仕事に出かけ、彼らの友人エクトールが街を案内してくれる。仕事が終わると毎晩エレナはタップダンスのコンテストの為に仲間と10時から練習を開始する。夜ご飯は毎晩11時30から、スペインタイムを毎夜楽しむ。彼女はすごく沢山ビールを飲む、そしてとても楽しく。一度二人でダンスの練習前にピンチョスを楽しんでいると、お店の人の差し入れが止まらず、次のゲイエリアのバールに行くに行けなくなり、高笑いが止まらなくなる二匹の猫。この写真は土曜のランチタイム(但し16時、勿論その前は2時からバールでビール)の一齣。アルモドバルの色使いの彼らのアパートの内装は、一目で気に入った。(写真中央は、エクトールのアパート、内装は自分で仕上げている)。この後勿論シエスタをし、22 時位から友人達とバールで集合、この日は6時まで遊び、翌日、マドリッド最後の日ラストロ(ノミの市、但し、イタリア同様安い新品の物、そして、少々のとても高いアンティーク)を散策、するには規模が大きい上、人も多く大変。天井からハモンが所狭しとぶら下っている、妙に洗練されてないマドリッドのバールが懐かしい。エレナが私のお気に入りのbebeのcdにメッセージを書いてくれた-友達は宝物-フィートは「sayonara babe」…?。すごく楽しい1週間だったから、スペイン語を12月から頑張っている,多分。empiezo studiare espagnol para parlare con vosotros!!muchas gracias!elena,fito y ector!!! hasta luego!!
宝物のマドリッド
11月14日-11月20日

hiromi

 
ふらふらして起きた、睡眠時間2.3時間。エクトールが空港までお見送りに来てくれる。朝6時。eDREAMSで買ったチケットは、マドリッド−バルセロナ90E.列車で行こうと思ったが、時間がかかり過ぎたし、値段もあまり変わらなかった。
 
暑い、ノースリーブの人もたくさんいる。バルセロナはたくさんの外国人がいてスタイリッシュカフェも多い。太陽の日差しのせいやらで明るい。皆が寒いヨーロッパから抜けてここに来たがるのも納得。私は一人、海へ行く。本を読む。久しぶりの静寂に安らぎと同時に感じたものは、孤独。一人重要建築物を訪ねる。
 
もともとは、スペインで生地を買いたかった。やっと辿り着けど、値段が合わない。個人的意見として、イタリア物のほうが、品質も良い(あくまでも、個人的意見)、という訳で、今回はスペイン生地諦めました。最終日、朝ホテル近くを散策中、ルナとメープル等見つける(shop zakka参照)。
 
街中一人でも楽しくなる、そんな街でした。画像でお楽しみを。

ガウディとトカゲとイカーバルセロナ
11/20-11/22
午後4時パリに再び入る。大雨、タクシーで郊外の友人セバスチャン宅まで行くがこれが大失敗。環状線大渋滞。20分くらいの所を1時間強。チップを弾んで70Eなり。
 
この日からまたパリの友人達と夜な夜ないつもの3区のアイリッシュパブに集合。1夜は、仏人友人達と日本から丁度遊びに来ていた友人達と一緒に食事。最終日はリオンで買った生地や、移動蚤の市(ブルカンテ)で買った商品を梱包・荷物発送やらで疲れてお家でリラックス。明日の飛行機は12時だ。それから、成田に早朝着く、帰るところまでは、羽田しかない(地方に住んでると交通費がすごーくかかる、特にここは便が悪く前泊などしないといけないことが多々ある)。午後4時帰宅。ただいまドン、パン。
 
いつも、世の中のどこかに、気が会う人がいると信じている。どこででも、生きていけるけれど、いつもの、何か足りないという気持ちはどこまでも付きまとう。今回は特にたくさんの良い出会いが会った、たとえそれが一時的に悪い方に転がったとしても、それは意味のあるもの。全部を大事にしていけたらと本当は思う。merci tous!et a tres tres bientot!!
 
11/23-11/28
猫帰る、パリ・東京

hirori

hirori